「中国人は」「韓国人は」で始まる文章が嫌い
まずことわっておくけど、私はしがない大学生で、社会人経験もない。
こう書くと必ず「何も知らない青二才が生意気に」と言われると思うので先に言っておく。
そうやって若い人の意見を封じ込める人に伝われと思って書いていない。
でも大学という環境にいられるほど恵まれていて、
まだ社会人になっていない20そこそこの学生の意見でもいいよ、読んでやるよって
人に伝わったら、これ以上うれしいことは無い。
そういうつもりで、思ったことを素直に書き連ねていきます。
きっかけはTwitterだった
最近はよくTwitter上でもデモが行われているのは知っていた。
1億総発信者時代と言われて久しい。
誰でも自由に政治に対する賛否を発信出来て、活発な議論が行える。
新聞記事についたリプを見て、
「なるほど。ずっと賛成だったけど、こういう観点から考えると反対意見にも納得できるなぁ」なんて
考えを深めることもできる。
そうやってたくさんの人の意見を見て回っているうちに、とあるリプが目に付くようになった。
「韓国人嫌い」「在日のくせに」「中国人だから」
正直「?????」というのが最初の感想だった。
主語がでかくないか?
まず言いたい。主語がでかすぎてわからん。
歴史的な問題もあって、いまだに近隣諸国とのトラブルが解決していないのは知っている。
それが原因で企業への圧力(表現が正確かわからない)等があるのも知っている。
ただそれがどうして「韓国人」「中国人」全体にヘイトを向ける原因になるのかが私にはわからなかった。
そしてそういったリプに対する反論(例えば差別的だと指摘したもの)にはたいていこういった趣旨のリプが付く。
「それは(中韓が何をしたのか)あなたが何も知らないから。勉強したらどうですか」
「(中韓を)かばうなんて在日か」
いや怖いって。
「なんかよくわかんないけど、この人たち怖い。近寄らんとこ」ってなるでしょ。
そもそも私には「在日」という言葉を差別的に使う、という感覚がよくわからない。
だって「日本にいる、外国にルーツを持つ人」という意味だとずっと思っていたから。
結局私がTwitterから得られた情報は
「近隣のアジア圏の国(特に中国と韓国)を異様に嫌う人がいること」
「在日という言葉は差別的に使われる場合があるので、使用場面に気を付ける必要があること」
「上記に当てはまる人はなんか怖そうなので、近づかない方がいいこと」
の3点だ。
私の周りの人々は……
冒頭にも記した通り、私は大学に通学している。
大学という教育機関は各国から留学生が集まる場だ。
彼らはたいてい日本という国を「好き」だと思ってくれているし、日本の文化を学んでいる学生もいる。
そしてもちろんその中には中国・韓国出身の学生も。
大学祭に出店した際、同じ団体に所属していた中国人留学生の大学院生は
「美味しいから食べて」と言って、自分たちが作った小籠包を持ってきてくれた(ちなみにめちゃくちゃおいしくて、翌日30分並んで自分でも買った)。
学内で教科書販売所の場所を尋ねてきた韓国人留学生は、
「来たばかりで分からなくて、助かりました」と少したどたどしい日本語で丁寧に礼を言ってくれた。
Twitterでぼろくそに言われる「中国人」「韓国人」の姿と、
大学で普通に学生生活を送る彼らが、私にはどうしても重ならない。
だからTwitterで見かけたり、恥ずかしいことにたまに父が言う「中国人は」「韓国人は」というひとまとめにした文章に違和感を覚える。
私が知ってる人たちは、そんな人じゃないよ。どうしてもそう思ってしまうのだ。
あの文章、いろいろ逆効果じゃないのと思う話
散々言っている「中国人は」「韓国人は」で始まる文章。
Twitterでさんざん見る割には、これと言ってそう考える理由を理論的に説明したものは見かけない(調べれば出る。ただ普通トレンド等で見るだけで調べないことのほうが多いから、ここではそれを前提にして話を進める)。
隣国に対して怒りを覚えている人がいるのは分かった。
じゃあそれってどういう理由があるんですか。なんでそう思うんですか。
そういうところを説明しないと、あれを見た人たちは私と同じように
「怖いなぁ」と思うだけだ。
隣国との付き合いを真剣に考え、そのうえで怒りを表明するならば、
理解を得るためにきちんとした根拠を説明しないと、いつまでたっても現状は変わらない。
「差別的だ」「事実を言ったまでだ」の言い合いに発展するだけで、進歩がないのだ。
真剣に国のことを考えるなら、怒っている人ほど理論武装しないとだめだ。
そうしたらきっと私は大学生として、未来を考える立場としてきちんと意見を読む。
「怖いなぁ」と思って回避しなくなる。「差別的だ」と思って反発しなくなる。
何かにレッテルを貼って思考停止するのはやめて、どうしたらいいのかみんなで考えようよ。
偉そうかもしれないけど、私が言いたいのはこれだ。
やられたらやり返すのもやめよう
でも韓国だってデモやってるよね。不買運動も。こっちだって嫌いになるよ。
なんかこう言われる未来が見える(というか家族には言われた)。
報道でこういったシーンはよく見る。たしかに「ひどいなぁ」と思ったこともある。
でもきれいごとかもしれないが、やられたらやり返すってあまりに幼稚じゃないかと思う。
それに報道されるものはいつだって「事件」だけだ。
これは報道される。
「日本が好きで留学しました」「日本の文化に興味があるので、日本の出版社に就職します」
これは報道されない。
逆に日本のヘイトスピーチが報道されたら向こうはどう思うか。
韓国の文化が好きな人がいることは伝わっているのか。
みんなが韓国・中国に反感を覚えているわけじゃないって知ってもらえているのか。
報道だけで真実って見えるのかな、といつも考えてしまう。
印象に踊らされていないかな、ちゃんと自分で考えられているかな。
たぶんそういうことを絶えず考えなくてはいけない時代だ。
色々と考えたことを書きなぐった。
推敲も、校正もしていないどころか読み直してもない。
たぶんとんでもない文章になっている。
でも思いの丈は全部入れられたのでそのまま投稿する。
誰かに私の思いが伝わったらいいなと、そう願っています。